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▼政治とは喋ること(片岡鉄哉)

全世界のアメ通読者の皆様、TSJ管理人です。


【Youtube動画】


▼品格ある国家の条件とは何か?

 …「ぜんぶキュージョー(9条)のせい!」

 あなたは悪くありません。安心して下さい(笑)

|山岡鉄秀(AJCN代表) & 和田憲治(OTB代表)のTSJ1|OTB

|https://youtu.be/JPRHtvo0l38


こちらの動画の冒頭で、

故・片岡鉄哉先生のことが話題になっておりますが、

そもそも、本メルマガ「アメリカ通信」をスタートしたキッカケは、

片岡鉄哉の知見を多くの人に知ってほしい、ということでした。

その頃からの「アメ通コア中のコア」読者wのかたには、

今更何を言うか・・・と叱られてしまいそうですが、

日米関係について考えてみる際には、片岡先生の名著


▼『日本永久占領―日米関係、隠された真実』

https://www.amazon.co.jp/dp/4062563487


は欠かすことの出来ない一冊ですので、未読のかたは、

機会があればぜひお読みになってみて下さい。


そして、今回は、その片岡先生の別のご著書の中に、

上記動画での話題にも通じる、非常に面白いテキストが

ありましたので、皆様にもシェアしたいと思います。


書かれた時期こそかなり以前となりますが、

現在においても通用する示唆に富んだ内容です。

かなりの長文となりますが、動画とともに、

片岡先生らしいシャープな論考をぜひお読み下さい。


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日本は「政治大国」になれる

―“吉田ドクトリン”からの脱却

(PHPブライテスト) 単行本 ( 1992/12)

片岡 鉄哉

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■第十三章 議論なき政治■


▼政治とは喋ること


政治とは何なのか。

どうして日本には外交がないといわれるのか。

どうして経済大国は「政経分離」をやってきたのか。

日本は政治性が低いといわれるのは何を意味するのか。


厳密にいって政治と暴力は別の世界に属する。

クラウゼヴィッツが、戦争は政治の延長だという格言をはいたのは有名である。

これは戦争を暴力の原理だけに従ってやってはならないという意味である。

それは完全に物理と衝動の世界であって、理性のコントロールが効かないことになる。

しかし戦争は物理の世界ではない。だからベトナムのような国がアメリカに勝つこともある。

湾岸戦争を二度戦うことは出来ない、というのも政治の理論である。


政治と暴力は別ものである。

これは軍事小国で政治大国を中間目標にする日本にとって有り難いことである。


では政治とは何か。政治とは、justiceに関することである。

国家と社会全体の視点から見て、何が正しいかという判断をするのが政治である。

政府は、この判断をし、それに従って、公共の資源を分配することになる。

ここでjustice正義といわれるものは、必ずしも絶対の正義を意味しない。

国民、企業、労働者、経営者、中小企業、福祉団体、医者、教職員、等々、

政治に参加するあらゆる団体が、各々の見地から、

これが正しいと主張をし、それを集大成したものが、その時点での正義になる。


何が正しいかについて、社会の意見が一致しない時に政治が成立する。

だから政治とは喧嘩である、という定義があるくらいである。

逆に、或る問題について、社会のコンセンサスが出来れば、

それは既に政治問題ではないことになる。

「全てのことについて、何が正しいかのコンセンサスがあれば、政治は消えてなくなる。

マルクスが、階級闘争のない世界では政治が終焉する、といったのは当たっている。

意見の相違があって、票決で決めるような事態を政治という。

労働者側と経営者側が、春闘の賃金水準について、

違った意見をもち、それをぶつけあうのが政治であり、最後の決着をするのが政府である。

最後の決着で、国の資源の分配が決まる。これが正義になる。


政治が正義に関することであるとすると、政治は言葉、スピーチですることになる。

イギリスにベンジャミン・ディズレーリという大政治家がいたが、

彼は、私は何が本当の正義かは分からないが、

政治とは、これが正義だ、あれが正義といってするものだ、といっている。

まさにその通りである。


これは究極の正義を否定することではない。

しかし実際問題として、究極の正義に到達するまで討論をすることは出来ない。

政治の正義は票決で決まる。票決は、えてして権力で決まる。権力によって違う結果がでる。

しかし如何なる権力者でも、スピーチで自分を正当化することをないがしろに出来ない。

スピーチによる説得力がなければ権力だけでは勝てない。

有無をいわせないのは、暴力であり、政治ではない。


だから政治家は雄弁でなければつとまらない。

イギリスの統治階級は、子弟をパブリック・スクールという学校におくる習慣があるが、

パブリック・スクールの教科の一つにレトリックがある。これは修辞学とも雄弁術とも訳される。

人の前で、説得力のあるスピーチをする訓練である。雄弁と詭弁とは紙一重の差である。

言葉の魔術ともいえよう。英語のpartiament(議会)という単語は、

フランス語のparler(喋る)が語源である。議会とは喋るところなのである。

喋るのが下手な人間は政治家になれない。アメリカの黒は、公共の場で喋るのが下手である。

だから黒人の政治家には、牧師が多い。

暗殺されたマーチン・ルーサー・キング師は、その一人であった。

ジェッシー・ジャックソンも牧師である。


てっとりばやくいうと、口角あわをとばして、俺が正しいんだと主張するのが政治である。

こう見てくると、どうして日本に政治と外交がないかは理解できよう。

日本人は、外の世界で言うべきことを言わないのである。

国際会議での日本人は、3Sをやるといわれる。スマイル、スリープ、サイレントである。

これは日本人の文明的な習性だといわれるが、本当だろうか。私はそう思わない。

日本人は、半世紀間、アメリカに安全保障をまかせることで、

他国と議論することを忘れてしまったのである。

アメリカのいう通りになっていれば、国の安全が維持出来た。

そこで黙ってアメリカに追従する外交をやってきた。

そのうちに沈黙と追従が後天的な習慣になったのである。


この習性は、今でも続いている。『ニューヨーク・タイムス』が最近掲載した、

トーマス・L・フリードマン記者の論文でも、同じ点を指摘している

(“America'sJapanPolicy:FracturedVision,"June28,1992)。

彼にいわせると、米国政府に、日本問題を好んで担当する役人がいないという。

国務省では、ベーカー長官以下、誰も振り向きもしないという。


その理由は、日本とのあいだには貿易問題しかないからだという。

要するに日本の政府との話は貿易しかない。市場開放か内需刺激かである。

それ以外の話は、日本側が避ける。だから日本と話をしても仕方がないことになる。

こちらからカヤの外に出ているのである。

こういう態度を「政治低姿勢」、「政経分離」と呼ぶ。


この態度の底辺にあるのは、ことなかれ主義的な一国平和主義である。

一国平和主義の源泉は、海外派兵を拒否した専守防衛の政策である。

集団安全保障の原則を拒否して、自分だけを守るという政策にある。

この政策を直さないかぎり、国際社会で政治的な役割を果たすのは無理である。


自衛隊の海外派兵は、政治の手段である。

政治とは喋ることである。justiceについて喋ることである。

しかし国際社会で、justiceについて自己主張をするには、

究極的な軍事的コミットメントが前提になる。

これは逆説的に聞こえる。「喋るのに軍隊は要らないだろう、

と社会党はいうかもしれない。

軍隊は、力の正義だから、軍隊は要らない、というであろう。

これは絶対平和主義で、行き過ぎである。


軍隊が、力の正義をおしつけることは現実にある。

だからといって、自分だけ武装解除しようというのは、正義を放棄することになる。

無責任になる。不義をただすには軍隊が不可欠である。

戦後日本は、社会党の要求する通り、海外派兵を避けてきた。

その結果は何かといえば、日本は正邪に不感症になった。

一国平和主義のずるい国になった。軍隊がないから喋らなくなった。


喋るには軍隊が要るのである。正義とは、たまには血を流すに値するような尊いものである。

他国の軍隊に金を払うが、自分の血は流さないと原則的に決めるということは、堕落である。

尊いものを持っていないことになる。

悲しいかな、日本では、戦後半世紀のあやまちが重い足枷になり、

非常に初歩的なことから始める必要がある。


もう一度、繰り返そう。政治とは、justiceについて判断を下し、主張することである。

もっぱら喋ることである。しかし国際政治では、軍事力の背景なしにjusticeは、あり得ない。

だが幸いなことに、これから十年くらいは、大国間の紛争はないであろう。

この世界で、日米同盟を維持し、国連を尊重し、日本の財力と、自衛隊を駆使すれば、

日本は政治大国として、自己主張が充分出来るのである。

他国に対して、ああしろ、こうしろ、と指図出来るのである。


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日本は「政治大国」になれる

―“吉田ドクトリン”からの脱却

(PHPブライテスト) 単行本 ( 1992/12)

片岡 鉄哉

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